【インタビュー特集】二十歳になるアナタへ、先輩からのメッセージ。振袖を着る前に聞きたいイイ話

インタビューvol.5 ルー大柴インタビュー「自分が恥をかいてでも誠意誠意思いを伝えよう。」

最近ではタレント・俳優のお仕事の他、茶道の師範としても活躍の幅を広げているルー大柴さん。ご自身の二十歳の頃のお話やルー語のルーツ、近年取り組んでいる茶道のことなど。着物姿がよく似合う神楽坂の和風カフェでお話を聞いてきました。

−狩俣「本日はよろしくお願いいたします。私は仕事柄よく着物系のサイトやニュース記事をチェックしてるんですが、正直ルーさんがお茶をやられているというのに非常にびっくりしました。しかも師範を持っておられると。今日はそんな一面を持つルーさんに、これから二十歳を迎える方たちにインタビューを通じてメッセージをいただければと思っています。まず、ルーさんの現在の活動などを聞かせてください。」

ルー「今はタレント活動としてはテレビやラジオ、舞台などをやってます。あとは近所の公園のトイレ掃除、富士山麓での清掃などボランティア的な活動をしたり、それから茶会にも招かれます。」

−狩俣「今回はわざわざお着物でお願いしましたので、まずは茶道について詳しくうかがいたいと思います。元々どうしてルーさんはお茶を始められたんですか?きっかけなどがありましたら教えて下さい。」

ルー「そうですね。50を過ぎて、ターニングポイントのようなかたちで、今のマネージャー(増田)と出会いました。『これからどうする、先がないぞ』という何かアクションを起こさないとダメだというタイミングで、彼(増田マネージャー)の奥さんが『ルーさんはテレビではキツイくらいインパクトがあるので、それとは違うイメージのことをやったらいいんじゃないか。たとえばお茶を習い始めるとか』という提案が彼にあったそうです。」

−狩俣「ちょっとした会話の中からの、しかもきっかけがマネージャーの奥様からのアイディアというわけですか。」

ルー「そう、それを彼から聞いて『えっ、お茶?』という感じだったんだけど…、ちょっと調べてもらったら遠州流の方が知り合いにいて、じゃあちょっとやってみるか、という流れになりました。ちょうどNHKみんなのうたでMOTTAINAIがブームになっていた時でしたが、これから先も考えて、趣味の世界も広げておいたほうがいい、という感じでお茶を始めるようになったんです。」

和服姿のルー大柴さん
やっているうちに「これはいいな」と。ティー道(茶道)が、大柴亨としての『静』の部分を引き出すきっかけになった

−狩俣「そこで初めて茶道にふれたと。」

ルー「はい、初めて。ただ姉がお茶をやっていたので、小さい頃に自分はお遊びみたいな感じでお客として飲んだりとかはあったんですけど…。でも本格的にというのは、なかなか。最初はかなり戸惑いながら始めました。やっぱり大変でしたね。服紗だとか、茶巾だとか、遠州流っていうのはけっこう細かいんですよ。ただお茶を入れて、はい、ってもてなすだけというシンプルなものじゃなくて。そこまでの所作を重んじるんです。正座も慣れてなくて、何回かやって『自分には合わないんじゃないかな』とか、『なんで私がこんなことをやらなければならないのか』とか、そんな風にも思いました。」

−狩俣「続けていけるのかな、とかも。」

ルー「そこは変な話ですが、費やしてきた時間も、月謝というかたちでの資金もかかっていますからね(笑)。でもやはり、なかなか一般では経験できないお稽古じゃないですか。神楽坂の一等地に稽古場があって、空気もすごくピリッとしている。最初はルー大柴だ、っていうので他の生徒さんたちもザワザワしてましたが、そこは私も真面目に通うようになりました。けど、増田(マネージャー)に様子を聞かれた時に『大変だよ~』なんて言ってたら『僕だったらやりませんよ』とか言われてね、ひどい人だよね。勧めたのに『僕は出来ないですね』って(笑)。」

−狩俣「自分で言っておいて(笑)」

ルー「おまけに忙しい時は全然行けなくて。行くたびに所作を忘れて非常にタイアドになっちゃってね。でもここでやめたらもったない、もうちょっと頑張ろう、なんてやってるうちに、そうですね3年くらいたったのかな。」

−狩俣「その状態で3年も続けられたんですね。」

ルー「そう。行けたり行けなかったりなんだけど。」

−狩俣「でもリタイアはしなかった。」

ルー「最初はすごく指摘されたりして、『そこはこうでございます』とか先生から言われて。すごく厳しいし、『私にはどうかな』なんて思いながらやってたんだけど。3年くらい経つと、石の上にもスリーイヤーズでね(笑)。やってるうちになんとなく、少しずつわかってきたのね、やり方が。」

遠州流大柴宗徹、ルー大柴さんインタビュー。

−狩俣「本当なんですね、石の上にも3年というのは。」

ルー「4年かかる人もいるだろうし、早い人は1年の人もいるだろうけど。私は3年かかって、面白くなってきた。それから茶会にちょっと顔を出したりお手伝いするようになって。お客様が驚くわけですよね、お茶を運んで私が行くわけだから。そうした時に『ああ、これはいいな』と。」

−狩俣「まわりの皆さんからすると、あのルーさんがお茶を点てると。どういったところで『これはいい』と確信したんですか?」

ルー「ピュアな気持ちになれるんです。お茶を点てている間は、『美味しくなれなれ』としか思っていません。それでお客様が飲んだ時に『結構なお味でございます』と言われると、すごく嬉しい。シンプルなやり取りの中におもてなしの心が入ってるんですよ。 それまで『ルー大柴』というテレビの中でずっとやっていたキャラクターは、すごくアクティブで『動』の部分なんだけど、ティー道(茶道)では、大柴亨という人間の『静』の部分、本来の姿が出てくるような気がするんです。」

−狩俣「ティー道では、テレビで見せていたルー大柴とはまた違う面を出せると。」

ルー「そう。ルー大柴っていうひとつのキャラクターをつくりましたけど、私の中には『静』の部分もあるわけですよ。そういうものが見えてきて、お茶に行くと自分に戻れるみたいなことを感じられるようになって。 そうしたら藪からスティックにですね、お家元から『準師範に』って。仰々しくお茶室で、茶人名『大柴宗徹』をいただきました。準師範になったら彼ら(マネージャー達)も驚いて、『すごいですね』って。 そんな大したことないよ、なんて言いながらまた3年くらいたったのかな、去年の4月には師範になり、『庵号』も頂きました。貫くという字で『貫庵』というね。普通は〇〇庵、とか2文字くらいあるんですが私は1文字で。家元によれば要するに貫いてもらいたいと、宗徹さん、貫いてこれからも頑張ってくださいということで。気に入ってるんです、貫という1文字なのがね。 石の上にも3年が、7年経って、師範になってしまった。自分でもサプライズしています。ワットキャナイドゥー、どうしましょうって。」

−狩俣「増田さん(マネージャー)もそこに関しては驚き、サプライズですか。」

増田マネージャー「そうですね、でも、準師範になったときに、当然その先に師範も見えてくるので、『頑張ってやってください』ということは言いました。取れると思ってましたしね。」

ルー「せっかちだから『早く師範になってください、師範になってください』って。そんな早くできるわけないだろって感じで(笑)。でも、なったらなったで喜んでくれましたよ。やりましたねって。」

追うのをやめた途端、夢が向こうから追いかけてきてくれた

−狩俣「では次に、ルーさんの場合の人生のターニングポイントというとどういったタイミングだったんでしょうか。」

ルー大柴さんインタビュー

ルー「一度やめたんです、芸能界を。芸能界をやめるって言ってもそれだけ仕事があったとか売れてたけどやめたとかではなく、無名で夢を追いかけてやっていたんだけど食えない、名前も覚えてもらっていないという時にやめたんです。結婚もしていたし子供も、長男が生まれた32、3くらいの時に。 母親にも、夢に向かってがんばれ、なんて言われて応援してもらってたんだけど、やっぱり結婚して子供が生まれて、お金も持って来ない、みたいなことになると夫婦の仲もあんまりよくなくなって。それを見た母親が、『あなた、結婚したんだからいい加減にしなさい。夢なんかあきらめろ』って一喝されましてね。そこで一度小さい時からの夢であった表現者というのを諦めたんです。それまで夢ばっかりを追ってたんだけど、不思議なことに、追うと逃げてばかりいた夢が、諦めると今度はあちらの方からこっちへ向いてくる。出来ないから違う仕事考えなきゃ、なんていうと、その夢が追いかけてきてくれて、私の場合本当に奇跡だ、奇跡っていうかタイミングと運が良かったんですけど、少しずつ仕事が入ってくるようになった。

それが一つのターニングポイント。っていうか。数ある中の一つですね。そこから売れましたよね。30代半ばくらいから売れて、42、3くらいまで、各局でレギュラー番組を持っていましたね。」

−狩俣「私もタイムリーで存じております。」

ルー「本当に忙しくて、なんでこんなに世の中って変わるんだろうって。『お前なんかダメだ、絶対売れないよ』なんて言ってた人が、売れたら売れたで、『君は昔から何か持ってると思ってた』とか『俺は期待してたんだ』とかね。あとは、あんまり関係ない親戚が増えたりとか、(笑)。女房子供を生活させなきゃいけないっていう一心で、とにかくルー大柴っていう名前を世に出そうと、覚えていただこうということで海パン一丁になったり、いろんなことをやってきたわけなんですけど。 でもそんなことをやっているうちに、だんだん飽きられて次第にレギュラーが減って、40代半ばから50代に入る前、彼(増田マネージャー)と会う前までは舞台をたまにやったりだけで、ほとんどメディアには出てなかったんですよね。」

マネージャーとの出会いはデスティニーとしか言いようがない。それは、砂浜に落としたダイヤモンドを見つけるぐらいの確率のもの。

−狩俣「増田さん(マネージャー)と出会って今まで、何年くらいのお付き合いなんですか。」

ルー「もう9年経ったかな。長いね、もうそろそろ離れようか(笑)」

−狩俣「やっぱり二十歳前後の若い人たちもそういうベストパートナーを見つけるのってすごく難しくて皆さん四苦八苦していると思うんですけど、何だったんですかね、増田さんと出会ってさらにそこから長年のパートナーとなるきっかけって。」

ルー「僕は全然彼より年上だし…。マネージャーっていうのも何回か変わって、まだ売れない頃はやり方がこう、なんて厳しく言われたり、売れたら売れたで『なんでもやってください』ってヨイショになったりとか。ただ、本来のマネージャーっていうのは、この人がいい、と思ったら、それを磨くために『こうやったらどうですか』とか『あれやったら』っていうプロデューサー的なこともないとダメだと思うんですよ。」

−狩俣「本来の意味でのマネージャー。」

ルー「売れたからいいみたいに、まんまその先も見据えずに何の苦言も呈さなければ、その人は有頂天になっちゃうじゃないですか。売れれば天狗になるんですよ、誰でも。エブリバディなると思う。私もそうでした。今になってみると大笑いなんですけどね(笑)。だけどそこを『こうやったらどうですか』『こんな仕事があるんですけど、これはこの先絶対必要になるからやっておいたほうがいいですよ』とか、導いていくのが本来のマネージャーだと思う。そこに信頼関係もなくて、ただ普通の作業としての仕事をしているだけで、A地点からB地点に送って、そこでやって、『はいさよなら、じゃあ終わりね』っていうのでは、どちらにとってもプラスにならないことだと思いますし。」

−狩俣「ルーさんも年下の増田さん(マネージャー)のアドバイスを受け入れるといいますか、正面から向き合う、その関係がすごいですよね。」

ルー「そんなことないとは思うけど。ただ、やっぱり運命だったと思う。彼(増田マネージャー)もいろいろやってきて、岐路に立っていて、私も50で、彼に言われたのが、『今の感じでやってるんだったらルーさん60までもたないですよ。それでいいんだったらそれはそれでいいですけど。でももう一度チャンスを掴みたいんだったら、今のルー大柴を捨てたほうがいいです』っていう。」

−狩俣「それを、ルーさんに言われたんですか?」(つづく)

ルー「言ったんです。よく言ったなと私は思ったけどね。だけど、それに返す言葉がなかったんですね。『いや、それは増田違うぞ。私はこういうふうに』っていうビジョンもなかったし。出し切っちゃった自分があって、カラカラになってて、これから私はどうしたらいいのかっていう、そういう気持ちでした。そこに増田くん(マネージャー)が現れて、彼だって給料もらってるわけだから私を稼がせないといけないじゃないですか。ダメだったら、嫌だったらやめても結構です、っていう話にもなって。でもやめずに続けて、少しずつ増田のアドバイスを聴くようになってからなんとなく自分もニュールー大柴になってきて、徐々にハンドル切っていって、昔のアクの強いくどいルー大柴じゃなくなっていった。お茶もそうなんですけど、MOTTAINAIっていうみんなのうたの仕事も取ってきてくれたりして、少しずつこうなって来たんですね。 そして独立も経験し、やるっきゃねえなっとお互い腹も括りました。そこからは彼(増田マネージャー)とまさに二人三脚でしたね。」

ルー大柴さんとTeraDox代表狩俣裕之対談インタビュー

−狩俣「ルーさんにとっては増田マネージャーとの出会いが本当に運命的なものですね。その出会いもひとつのターニングポイントというか。やはりベストパートナーに出会えたというのがすごい。」

ルー「ベストフレンドって言うんじゃなくてビジネスのベストパートナーなんだと。ビジネスの時は何かあったら全部やる、みたいにすごく集中する。逆に僕自身があまりにも出来が悪かったら文句言うし、出来がよかったら褒めるし、そういうアメとムチを彼(増田マネージャー)は持ってる人だしね。しかもいまだに仕事が終わってからちょっと飲みながら、あそこはこうだったとか話しあったり、切磋琢磨しながら反省会とかはありますね。でもそれって絶対ね、必要なのよ。ある部分で。それをやらないんだよ、みんな。
よくイメージとしてあるのは芸能人のマネージャーって、ペコペコしちゃって言われるままにやってるだけのね。それとは逆で彼自身もマネージャーにプライドがあるわけですよ。非常にプライドのある人だから。ギブアンドテイクなんだと、タレントとマネージャーは。確かにそう言えるだけのプロデュース能力だとか、いろいろ戦略を練ったり、仕事を取ってくるということに関して僕も信頼をしていますね。
ただ、本当にこういう出会いって言うのは運命的で、ダイヤモンドを、砂浜で落として探すみたいな、それくらいの確率だと思う。これっていうのはデスティニーだよね。」

増田マネージャー「苦言を呈する人をこそよく見ろと言いますが、そんなに簡単にはいかないと思います。難しい。それでも、苦言を呈する人に一目置こうと、嫌ですけど。自分も嫌ですけど僕にとっては妻がそうですし、皆さんあると思うんです、学校や会社の中でも。」

−狩俣「苦言を呈するのってすごい勇気がいることだし、その人との関係が壊れちゃうんじゃないか、と思っちゃうじゃないですか。でも、それでも言えるっていうのが、本当の優しさなんですよね。」

ルー「それと、苦言っていうのは、『あ、この人になにか言ってもダメだな』って思ったら言わないですよ、だって無駄だもんその時間。でも『この人は言ってあげたら変わるんじゃないか』っていう可能性があるから言うんであって、こいつに言ってもわかってくれないだろうとか思ったらスルーしちゃうよね。」

増田マネージャー「友達でそういう厳しいことを指摘してくれるような人のほうが、重要ですかね、二十歳くらいなら。」

映画のサウンドオブミュージックにドカンときて「なんで自分はこんなところにいるんだろう」と思っちゃった

ルー「じゃあネクスト!」

−狩俣「ネクストはですね(笑)、十代の頃や成人式の時のお話しをしていただきたいんですが。まず、ルーさんは若い頃に海外生活の経験があるとうかがったんですが。」

ルー「海外へは高校時代、ヨーロッパ、特に北欧を中心に1年弱行っていました。ヒッチハイクしながら1970年代の前半、ヒッピーの時代でございましたね。それが今のブラッドアンドミートっていうか、あ、ごめんなさい、血と肉になってますね。またこのルーのもう一つの、要素にもなっているということでございますけれど。 バカな人間だったんで、高校の時にも、とにかくジャパンじゃダメだと。とにかく外国行っていろんな人間と接しよう、っていう。将来は外国でアクターになって、アカデミー賞主演男優賞、レッドカーペットを歩いて泣こう、そう思ってた人間なんです。でも、夢破れて日本に帰ってきましたけどね。」

−狩俣「なるほど、夢を追いかけてそういった経験をされているんですね。英語は海外へ行かれる前から喋られていたんですか?」

ルー「父がロシア語と中国語と英語が喋れたんで。小さい時から英語と日本語をトゥギャザーで時々会話したんですよ。「ルー、ティーをドリンクしなさい」とかね。外国ナイズされた人で。 父は元々ハルビン、当時の満州で生まれ育った人なんで。戦争で負けてこっちに帰ってきたんですけど、遊び相手が中国人とかロシア人だったそうです。」

−狩俣「そういう環境下でルー大柴のプラットフォームができあがってきたわけですね。」

ルー「そうですね。イグザクトリーです。」

−狩俣「ところでルーさんは成人式には出席されましたか?」

ルー「成人式は参加していないんですよね。僕は新宿にいたんで、新宿区からボールペンか万年筆かなんか届いたと思うんですけど。当時働いていてそんなに、余裕がなかったし(笑)。
二十歳くらいの時は三橋達也さんっていう役者さんの付き人をやっていました。その前の海外放浪の旅から帰ってきてから、三橋さんに気に入られて、いいだろう、っていうことで付き人になった。三橋さんが忙しかったから、時間がなかったですね。遊んでる若い人達を見て「うらやましいな」とか、「恋愛もしたいな」とかいろいろ思いましたけどね。だからその頃はとにかく、『今に見てろ』っていう気持ちでした。『俺はビッグになる』っていう志でスターに付いていました。それから2年半、22くらいまでやっていました。二十歳の時は、とにかく自分の夢があったんで、それに向かって行くしかないなと一生懸命でしたね。今になってみれば、もっとのんびりして、少し教養もつけて、スキルもいろいろ身につければよかったと思うんだけど。」

−狩俣「なるほど、ルーさんにとって二十歳前後のころはそのようないわゆる下積みの時代なんですね。そもそも表現者を目指したきっかけというのは何だったんでしょう。」

ルー「ガーンと来たのはサウンドオブミュージックっていう映画のジュリー・アンドリュース。あの人のあの作品を見たときに衝撃を受けました。すごいと思った。中学2年の時でしたね。母親と一緒に観に行ったんだけど、ウェストサイドストーリーと、ビートルズのヤァヤァヤァとの三本建てで。他の作品もすごいなと思ったけど、やっぱりサウンドオブミュージックに惹かれましたね。」

−狩俣「少年の心にガーンと突き刺さったわけですね。サウンドオブミュージックはこれから二十歳を迎える女の子たちにもお勧めですかね。」

ルー「お勧めだと思いますよ。どんなところがお勧めかというと、家族愛がすばらしい。父親の気持ちとかね、それからジュリー・アンドリュースが自分はお母さんじゃないのに子供たちにかける愛情。そこにミュージック、ドレミの歌だとかそういうのが入ってきてガツンとくるんですよ。私が純粋だったのかもしれないけど、新宿の映画館でスクリーンを観ててね、『なんで俺こんなところにいるんだろう』と思っちゃった。『とにかく、ジュリー・アンドリュースの所に行こう』と思った。」

−狩俣「感動を通り越して。」

ルー「『なんでこんなジャパンにいなきゃいけないんだ』『これから英語だろうな』とか。そんなことばっかり考えてた。でももっと楽にね、青春を謳歌しながら先を見るっていうことをすべきだったんじゃないかなと思います。」

−狩俣「それは二十歳を迎える前に。」

ルー「ええ、二十歳より前に。子どもなんだからまだ親のすねかじっててもいいじゃないですか。だけど僕の場合は『こんなことじゃいけない。とにかく稼ごう』とか、まさに生き急いでた。だから22で三橋さんのところをやめて、24くらいになったときに、『ああもう俺はデビューできないな』とか考えてた。24なんてまだ若いじゃないですか。30までになんとかなればいいじゃないですか。でも、かたや若いタレントとか俳優は出てるわけです。だから『負けた』とか、『このままジジイになる』とか、そんなふうに悩んだ時がありましたね。でもその当時、自分が24の時に出てた人たちはほとんどいなくなりましたけどね。」

−狩俣「そういうものなんですね、わからないものですね。」

ルー「ウサギとカメじゃないけどね。この職業、ぴょんぴょん先に飛んで、ペースを考えてなかったらあっという間にダメになる。私はある意味遅咲きで助かったかなって。若くして成功しちゃうとね、その先が難しいのかなと思いますね。」

十九、二十歳はまさに青春時代のオンタイム。二度と戻ってこない時間を焦らずじっくりと過ごしてほしい。 アパレルブランドmy pandaデザイナールー裕子さん

−狩俣「では最後に、これから成人を迎える方に向けて伝えたいことはありますか?それからもし自分が二十歳の自分に戻れるとしたら、伝えたいなと思っていることなどがあれば。」

ルー「さっきも言いましたが、私の場合はこれしかない、と思って突っ走っちゃった二十歳前後の自分ていうのがあるわけですけども…。本当に十九、二十歳ってすごくいい青春時代だと思います。なんていうんでしょうか、二度とそれは戻ってこない時代で、いま十九、二十歳の人はまさにオンタイムなわけで。ですから、いろんなことにチャレンジして、一つのことにこだわらずに、多角的にモノを見て、ゆっくりといろんなものを吸収しながら将来のことを考えて歩んでいただきたいなと思います。」

−狩俣「いま就職ひとつとっても、どんどん早期化してきてますけれども、みんなそこで焦る人多いと思うんですよ、あの子はもう就職先決めたとか、大学院に行くとか。」

ルー「でもね、それは、僕らの時代もそうでしたよ。『アイツ大学行って、銀行に入ったな』とか、『給料も定期的にもらってるんだな』とか。で『俺は一体何をやってるんだ』とか、そういう焦りみたいなのはありますよね。それは今も昔も変わらないんじゃないですかね。まわりや高校時代の友達がどんどん進学したり、ひとつのものに向かって就職活動をしているとか、そうするとやっていない人は焦るよね。同じスタートラインだったのに、随分離されたなとか。でもね、急がば回れじゃないけど、とにかく自分の志があって、何か目標があって、それに突き進んで行けば、なにか光が見えてくると思いますけどね。」

恥をかいてでも自分の思いを誠心誠意伝えて、そこで何かをゲットする人はもっと上へ行ける。

−狩俣「若い方に向けて『とにかく今すぐ動け』って言う人も多いと思うんですけど、そういう中でルーさんの生き方や意見はとても参考になるというか。そういうのがスタイルにあっている人も絶対にいますよね。」

ルー「だって一回しかないんだもん。当たり前の話なんだけど、人生の中で十九、二十歳ってのは一度だけしかない。その一度だけを、悔いのないように生きるしかないんじゃないですかね。ただ、大人になればなったで『ガキだったな、あの頃は』って思うかもしれないけど、その19の時は大人に何を言われようが自分の信念を持ってユアドリームを持ちながら歩んでほしい、恐れずにね。それから、とにかくどんどん恥かかないとダメですね。恥かけ、汗かけ、涙しろ。っていうのが私の座右の銘ですけど。」

−狩俣「それはとても身につまされる、いい言葉ですね。」

ルー「大人になればなるほど恥っていうのはかきたくないわけじゃないですか。でも、恥をかくことによって学ぶことっていっぱいあると思う。バリアを張らないで、自分の気持ちを恥をかいてもいいから相手に伝えて、一生懸命自分のことをわかってもらおうと汗をかいて、で、恋愛でもそうだし、仕事でもそうだし、何かをゲットしてその感動でティアー、つまり涙を流す人生っていうのがいいと思う。
こうやるとみんなに笑われるから、とか、外国人の前だと笑われるから英語を喋らないとか、そうやって恥をかくことを避けるじゃないですか。アイライクユーとか言いながら、あるいはジェスチャーでもなんでもいいから、自分の知ってる英語力で喋れば、外国人は聞いてくれますよ。それを僕は昔から思ってた。でも自分の先輩たちもそうだけど、何もアクションしないじゃないですか、ただ外人が来ると「ハハハ」っていうだけで、それが見ててすごくいやだなと思った。恥をかいてもいいから、自分の意思を相手に伝える、コミュニケーション取るっていうことが大切なんじゃないかなと思います」

ルー大柴さんとTeraDox代表狩俣裕之ツーショット

最後にすばらしいメッセージをありがとうございます。経験豊かなルーさんの信念と人となりを聞くことができ大変貴重なインタビューとなりました。ありがとうございました!

【オフィシャルブログ】
ルー大柴ブログ『TOGETHER』http://ameblo.jp/lou-oshiba/
ルー大柴さんプロフィール
1954年、新宿区生まれ。高校卒業後、単身で世界を放浪。帰国後は三橋達也さんの付き人などを経て俳優デビュー。後にタレントとして大ブレークし、数多くのバラエティー番組で活躍する。近年では、遠州流の茶道師範としても活躍の幅を広げる。山野美容芸術短期大学客員教授。最新の活動はこちらをチェック!ルー大柴ブログ『TOGETHER』http://ameblo.jp/lou-oshiba/
ルー大柴さんプロフィール写真
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