【インタビュー特集】二十歳になるアナタへ、先輩からのメッセージ。振袖を着る前に聞きたいイイ話

インタビューvol.4 中村裕子インタビュー「学生の頃、憧れの人に直接手紙を書いて仕事をもらいました。」

今回インタビューさせていただいた中村裕子さんはスープストックを運営する株式会社スマイルズのアパレルブランド「giraffe」「my panda」のデザイナー。偶然にも同年代である弊社社長の狩俣がインタビュワーとして同席し、対談形式で進めさせていただきました!

−狩俣「今、中村さんはどういうお仕事をされているのでしょうか?」

中村「giraffeというネクタイのブランドとmy pandaというファッションブランドのデザイナーをやっています。両ブランドのデザインは私一人で行っています。とは言っても少人数ですからデザインだけをやっているわけにもいかなくて、世の中の多くのデザイナーさんとは動きが少し違うかもしれません。」

−狩俣「デザイナーでもあり、マーケッターでもあり、生産の管理をしたり…ということでしょうか?」

中村「そうですね。多くの会社にはMDもいたりするのですが、私たちにはそういうポジションの人もいなくて、MDに関わるような仕事もやっております。(MD=マーチャンダイザー。広域的な意味ではマーケティングや商品や顧客の分析を行う人のこと)」

TeraDox社長と対談する中村裕子さん

−狩俣「それは忙しいですね…。元々はイッセイミヤケさんに入社されていて、そこでデザイナーとしてのキャリアをスタートさせたんですね。」

中村「はい。大学を卒業してしばらくしてイッセイミヤケに入社しました。イッセイミヤケ退社後は一度引きこもってしまったんですけど、縫製の仕事を少ししておりました。
イッセイミヤケでの仕事は、もちろんやりがいも多かったですが、プレッシャーも多く、日々一生懸命なつもりでも当然報われないことも多くて。それで退社後にはその反動で燃え尽き症候群になってしまったというか。頑張りすぎていたこともあって、完璧に燃え尽きていました。違う道を見つけようとしたこともあったのですが、アイデアもきっかけもなくて。
そんな中で母親から『洋服縫うの好きじゃない?』といわれて縫製の仕事に就いて、洋服でもつくろうかな?と思ったところで今の社長である遠山を紹介してもらったんです。」

当時全くネクタイのことを考えたことがなくて…。でも次第に、小さなキャンバスとしてのネクタイを楽しめるようになっていた。

−狩俣「燃え尽き症候群ですか。たしかにそれは勤務先を辞めた後のありがちな流れですね。現在の社長を紹介していただいた経緯はどういったことだったんですか?」

中村「イッセイミヤケにいらっしゃる皆川魔鬼子さんという、テキスタイルデザインの重鎮の方に『ネクタイのブランドをやりたいと言っている人がいる』ということで紹介していただいたんです。」

−狩俣「ベストなタイミング…まさに運命的な出逢いですね。」

中村「振り返るといつも自分で仕事を見つけたと感じではなくて、私の人生は誰かしらからきっかけを作ってもらっている様に思います。」

−狩俣「ベストなタイミングで訪れるチャンスをきちっとモノにしているんですね。それは中村さんの引き寄せる力、魅力なんだと思います。」

中村「不思議と何年かに一度、そういうラッキーなことがあるんです。
でもネクタイなんて当時全くしないしネクタイの事を考えることもなかったですからね。強いて言えば高校のときにしていたなぁくらいなもので。だから、そこまでネクタイを愛せるのかという心配がありました。
でも、探っていくととても奥が深かったんですよ。ジャケットやスカートのような洋服ではなく、ネクタイというある意味決まった小さなキャンバスの中で、テキスタイルでどうやって差をつけようかなとか、そこに面白いアイデアを入れて人を驚かせるというのはとても面白くて。
途中からはネクタイは洋服とは違う観点でやりやすくなってきました。今思えば最初から洋服というと範囲が広くて自由度も高いし、逆に最初にネクタイに特化することで的を絞られたから、その中でやれることをやっていったらどんどんハマっていきました。」

大変だったことなんかは、意外とすぐに忘れちゃうタイプですね。

−狩俣「イッセイミヤケを退社されて燃え尽きた後から、予想もしなかったような怒涛の展開ですね。」

中村「本当にそうですね。笑
今だからこんな風に話してますけど、ネクタイを作る上で最初はかなり大変だったんですよ。その頃は2006年位でクールビズが始まった年でした。ノーネクタイが推奨された時期でしたから。
でも今思えばそれがラッキーなんです。そういう中でもあえてネクタイをする人は、オシャレに気を使う人です。ネクタイをつける意味をしっかりと見出している方々が私たちのネクタイを知ってくれる良い機会になりました。最初はたしかに難しかったのですが、徐々に徐々にお客様が増えていきました。
今だと型数をいっぱい作れるようになりましたけど、最初のうちはこんな数量でごめんなさい…という感じで。笑多くデザインするのには限界がありました。そして工場を探すところから自分で始めましたし。」

−狩俣「え!?そんなところから始めたんですね!本当にゼロからのスタートですね…。」

中村「当時は有限会社giraffeでしたので、今いるスマイルズとは全く別だったんです。なので発足当時は私ともう一人で、もう一人は経理等を担当していました。まずはどこでネクタイは作られているんだろう…というところから始まりました。
でも、もうその頃は表参道ヒルズにgiraffeのワゴンショップができることが決まっていたので、とにかく必死でしたよ。」

−狩俣「試練に試練が続きますね。大ピンチのような感じがしますが、大丈夫だったんですか?」

中村「今思えばけっこうなプレッシャーでしたけど、そういうのって意外とすぐ忘れちゃうタイプで、結果大丈夫でしたよ。
でもそれよりも、自分のデザインしたものが世に並ぶのが嬉しくて。そしたら仕事の大変さがそこまで苦にならなかったです。仕事の苦しみよりも世に並ぶことの喜びのほうが上回ってました。そして3年位経ったらもっといろんなことが解るようになってきましたし、デザイナーとしての考え方も変わってきたんです。チームワークの楽しさ、人との関わりの部分の話です。昔は『一人でデザインして一人で作るのがいい』と思っていたんです。その世界の中で一人没頭してやるのが一番思い通りに出来ると思っていたけど、実際いろんな人と出会う機会も増えて、分担して1つの素晴らしい物を作るとか、チームみたいにできあがったものもすごく楽しく思えるようになりました。」

−狩俣「なるほど。私が普段しているネクタイや小物類でも、意識することはあまりないにせよ本当に色々な方々が関わって出来上がっているんですものね。」

中村「そうですね。とにかく自分しか見えていなかったのかもしれません。もっと周りの人に興味を持つようになったんです。」

美大生時代は学内よりも学外、社会に興味がありました。憧れの方へ直接手紙を書いてアルバイトさせていただいたりして…今だったらそんな図々しいこと出来ませんけど。笑 アパレルブランドmy pandaデザイナー中村裕子さん

−狩俣「ところで、中村さんの学生生活はどうだったんですか?」

中村「大学は多摩美術大学でした。でも多くの大学生の様に大学内の学業やサークル活動のことよりも、学外のこと、社会に興味がありました。笑
『とりあえずなんでもします!』ということで学生アルバイトでイッセイミヤケで働かせてもらいました。当時は、今でも憧れの存在でもあるmina perhonen(ミナペルホネン)の皆川さんも大好きでアルバイトさせてもらったりとか。憧れの人がどういう仕事をしているのかが見たくて。今だとそんな図々しいことできませんけど、平気で『働きたいです!』って便箋にお手紙を書いて送ったら、皆川さんから連絡をいただいて働かせていただいたり。本当に恐れ多いですね…。」

−狩俣「それはすごい行動力ですね。学生時代から現在のようにデザイナーになるとは決めていたんですか?」

中村「中学の時にはそれは決めてました。でも漠然としすぎていてそれ以外に具体的にどんなデザイナーになりたいかということは何も決めていませんでしたよ。」

−狩俣「それでも立派なことだと思います。高校はどうでした?」

中村「高校は、とにかく進路に迷っていました。例えば洋服デザイナーの方が学生時代通われる名門といえば文化服装学院があります。当時の私も、服飾に関わる人はそういうところに行くものだと思っていたので、文化服装学院のような服飾の専門学校に行きたいと思っていたんです。とにかくファッション関連の専門学校が良いなあと。
でも、厳格な家庭だったので、とりあえず大学に行きなさい!というのもあって。なので一旦大学に行くかあ…ということで。色々と大学を調べていると、多摩美術大学に洋服の生地に特化した学科があることを知ったんです。それなら私の4年間は楽しそうだと思って。しかも入学試験もデッサンだったので、それはいいな!と思ったんです。勉強は苦手なタイプでしたから、うってつけです。笑
デッサンの受験勉強のために美術系の予備校に行ったんですけど、私にとっては人生でそこが最初に世の中の一番厳しいところを観ました。」

−狩俣「美大受験に特化した予備校も各地にありますよね。ご出身はどちらだったんですか?」

中村「埼玉です。生徒の書いたデッサンを、順位別に並び替えられるんですよ。名前を伏せて書き終わったものを提出するんですが、それをランク付けされて1番から最後まで順位付けされて、みんなの前で手を挙げないといけないんです。かなり厳しいなあという感じでした。」

−狩俣「それは順位が低いとプライドが傷つきますね…。」

中村「私は美大に行こうと思ったのも人より遅かったです。3年の夏くらいに美大の予備校に入って。今思うと高校ってあんまり記憶ないかも。
とにかく早く予備校に行かないと、デッサンで良いアングルの席が埋まっていくんですよ。順位も上げたいし。そのために高校も行かなくなったりしてダメダメでしたね。笑
でも厳しいところでも絵を書くのは楽しくて。何か1つ楽しいことがあると他と両立できないんです。」

−狩俣「美大ってもちろん浪人する人も当然いる世界ですよね。」

中村「そうですね。でも浪人はダメ!と親にも言われていたんです。実際はそんなことはなかったのかもしれませんが、それもあってとにかく必死でした。」

−狩俣「高校はアルバイトはされていませんでしたか?」

中村「一時期やっていましたけど、そんなに続かなくって。和菓子屋さんでアルバイトをしていました。作る方も売る方も。お団子とか最中とかも作ってましたよ。笑 それもすごく楽しかったけど、不向きでしたね。人間って向き不向きあるんだなと思いましたね。
菓子折りのラッピングもやったりするんですけど、向いてそうに思われるところですが意外とそれがダメで。笑
結局は自分のやりたいことや好きなことにリンクしたアルバイトしかしたことがないんです。他には学生服を縫う仕事もしたことがあります。制服の丈つめとか。でもね、熱中していることが他にもあって自分の活動で忙しくて、縫いながら寝てたりするんですよ。笑
学生のときもそれはそれで忙しかったな。今思えば大したことありませんけど。」(つづく)

成人式に選んだ振袖は穏やかで淡い、とにかく絶妙なピンク地。色の組み合わせや髪飾りなどのコーディネートにもうるさいぐらいこだわりぬきました。笑

−狩俣「縫いながら寝るのは危ないですね。笑 ハタチのときの成人式はどうでした?」

中村「仲の良い友だちと美容院に行って着付けてもらって、埼玉の地元の呉服店で振袖を選びましたよ。振袖を選んだところは私が幼少の頃から良くしていただいていた近所の呉服店です。柄は自分で好きなモノを選びましたよ。
伝わりにくいんですが、本当に穏やかな…色合いも淡いピンクの振袖です。私の選んだ振袖は柄よりも色が決め手だったんです。うまく説明し辛いんですが、もうとにかく絶妙なピンクなんですよ!…でも今はその色選ばないですけど。笑」

−狩俣「当時よほどそのお色が気に入ったんですね。振袖の色や柄は実は複雑で、一言に古典と言ってもとにかく種類があったり、いわゆるギャル振袖だったり。花魁(おいらん)振袖という肩を出したような振袖もありますし、それを選ばれる人もいるんですよ。
他にもアンティーク・レトロ系や、いわゆる原宿っぽいようなものもあったりします。振袖の中でもジャンルやシーンが色々とあるんですよ。」

中村「それは面白いですね。私はそう言われるとおそらく正統派な振袖を選びました。でもとにかく色合せにはうるさかったです。ここは絶対にピンクにゴールド!みたいな。スタッフの方がいくつか選んでくれたんですけど、それは拒否しました。とにかく自分で選ばないと納得いきませんから。次々と店員さんから紹介される振袖をやんわりお断りしながら。笑 振袖だけじゃなくて髪飾りについても同じです。」

−狩俣「正直、お店の方からすると提案がしづらいお客様だったかもしれませんね。笑」

中村「振袖にあわせて髪型もこれがいい!というのがありました。当時はおかっぱみたいなのが良くて。とにかくこだわりは強かったです。笑」

TeraDox社長と対談する中村裕子さん

−狩俣「お話の中で、当時の着こなしに個性を感じます。是非観てみたかったです。ところで、デザイナーさんの立場から見て、振袖の配色や柄なんかはどう映りますか?」

中村「とても面白いと思います。特に襟元に差し色が入ったりするところだったり。色彩や配色の感覚や帯の重ね方、レイヤードとか。何よりも何百年も昔から日本人の美意識にこういう感覚があったことが凄いと思います。」

−狩俣「和服ってそんなに目を見張るような進化してないんですよね。むしろ先ほどの花魁(おいらん)なんかは戻っているとも言えます。たしかに和服にもトレンドがあったり色柄は変わりつつありますが、基本的な形、パターンは変わってないんですよね。振袖のデザインはしてみたいと思いますか?」

中村「そうですね。してみたいと思います。そういえば私は学生時代にファッションショーをやったりしていましたが、一番最初は着物を作りましたよ。自分で生地を染めたりして、四苦八苦しながらやってました。生地を染めるときの色合いをボカすコツも職人に聞いたり。
その当時は、自分もけっこう尖っていた時期でもあってモデルさんにキツめなメイクで着物を着せてとか。…でも恥ずかしくて今は見れません。笑 しかもなんでこういうことをしようと思ったのかは全然覚えてないです。笑」

−狩俣「そうなんですね。それは今日のインタビューのためだったんじゃないでしょうか!笑
振袖を含めて着物は芸能人やアパレルの方でも多く手がけている方がいらっしゃいますからね。現在のモードブランドや海外のデザイナーさんの手がけたものでも、着物をモチーフにしたような洋服もありますしね。
仮に中村さんが振袖を手がけるとしたら、なんだか今までにない独創的なものが出来上がるような気がします。」

中村「和柄って本当に独特ですよね…しかも何百年も前からこの文化があるんですものね。
一体何がそうさせて発展していったんだろうって思います。民族衣装の中でも一際独特ですよね。
でも、学生時代のファッションショーの時のようにやるとしたら当時のものよりもいいモノができると思います。笑」

『ここでやらなかったら一生チャンスを逃すかもしれない』と、直感的に思ったんです。

−狩俣「デザイナーさんからの視点でもやはり独特に映るんですね。中村さんが手がけた振袖や和服を是非観てみたいです。ところで中村さんのキャリアにおいて、人生においてのターニングポイントってありますか?」

中村「うーん、いっぱいありますけど…現在のmy pandaでいうと、FFF(ファイト・ファッション・ファンド)で選ばれたときですね。それまではgiraffeのネクタイだけじゃなくてゆくゆくは洋服もやりたいと思っていましたし…。
でも何か新しいことを始めるのって、今の立場や生活もあるわけですからタイミングが合わなかったり、エネルギーも使いますしね。この話が出たときに、『ここでやらなかったら一生洋服を作るチャンスがないかもしれない』と、直感的に思ったんです。
ちなみにFFFの決定前からmy pandaをやろうとは決めていました。でもそれを世の中に出すタイミングが難しくて、結果的にmy pandaの後押しになったのがこの出来事なんです。
そしてデザイナーとして淡々と洋服を作ることだけではなく、自分が手がける世の中にブランドを発信するということは、苦手なプレゼンであったりメディアに露出したり…色々やらなきゃいけないことも当然ながらあるわけです。
今思えばそれが物怖じしてしまう要因ですけど。とにかくやりたい気持ちが強くて本当に深く考えないでスタートしてしまったんですよね。」

中村裕子さんとMy振袖運営会社社長の対談風景

−狩俣「またしてもそれはベストな出来事ですね。ではmy panda以前のターニングポイントは何ですか?」

中村「うーん、服飾の専門学校の進路を辞めて美大受験等もありますが…もっと遡ると中学の頃父親にミシンを買ってもらったことですね。
本当に楽しくて、そこで洋服に目覚めたというのがあります。そこで洋服に目覚めていなかったら、何をやったらいいかわからなかったと思います。別のことを果たして好きになれたのかな。」

−狩俣「お父様に買っていただいたミシン!良いエピソードですね。そもそもミシンを買ってもらったきっかけは何だったんですか?」

中村「当時の夏休みの課題の自由研究で何かを提出しなきゃいけなくて、当時はファッション誌のZipperやOLIVEをよく読んでいて、洋服の作り方のような記事があったんです。じゃあ何か服を作って提出しよう!と思って、ミシンが欲しいと父親にねだったんです。しかもけっこう良いミシンを買ってもらいました。
そのときも生地を染めて作ったんです。既成品の生地の色味だと思い通りにならなくて。当時たしか染め物って流行っていたんです。そしたら染め物の楽しさにも目覚めて。」

−狩俣「なるほど。そこからもう未来に向けてのキャリアが始まっている感じがしますね。そういうのって当時から意識していましたか?」

中村「いや、全然ありませんでした。むしろやりたいことがこれくらいしか思い当たらなかったんです。」

−狩俣「なるほど…面白いですね。これから新成人を迎える方や若い世代の方は、服飾・アパレル系に進みたいという方ももちろん多くいらっしゃいますから参考になると思います。今ハタチの自分に伝えたいことがあったら何を伝えますか?」

中村「当時の忙しさに比べたらまだまだで、これからもっともっと大変だよということですかね。笑
あとは、当時は専門学校への進学を断念した訳ですけど、今思うと専門学校じゃなくて大学で良かったのかなって思います。それが私の強みになったと感じます。
もし大学に行ってなかったら専門的にテキスタイルの勉強はしなかったと思うし、考え方によっては何事も無駄にならないと思うんです。
だから、短期的には道を間違えたのかなと思っていても長い目で見ると正解だったんだなと。昔の自分に長い目で物事を観られるようになろうと伝えたいです。」

−狩俣「では今これから成人式を迎えようとしている方達に伝えたいメッセージはありますか?」

中村「うーん…その質問の前に今の若い世代の方々はやりたいことは見つかっているんですかね?やりたいことが見つかっていない若者も多いって言いますよね。」

−狩俣「そうですね。それが一部では社会問題のように言われたりしますね。」

中村「やはりそうなんですね…でもみなさん好きなことは多分何かしらありますよね。
なんだか変に深く考え過ぎなんじゃないでしょうか?
例えば、一般的にはデザイナーになりたいという夢があっても、『実際に難しいんだろうなあ…』と思って無意識に諦めちゃうんだろうと思います。
極端な話ですが、プロ野球選手になろう!と思ってすぐに野球に取り組む人っていないじゃないですか。今の生活もありますし。実際に挑戦する人ってすごく少ないと思うんです。だから、それを考えないでまずは挑戦してみてはどうでしょう。もちろん挑戦していく過程には大変なこともありますけど、でもその中で大変なことに負けないくらい楽しいこともあって、得る物も大きいんですよ。私の場合だと今の方が逆にビビってしまうかも。」

中村裕子さんとTeraDox社長狩俣裕之ツーショット写真

−狩俣「でも…ここまでのお話を聞くとビビっているどころか本当に攻めていますけどね。」

中村「ははは。そうですかね。
大学時代のお手紙を送った話なんかは今考えると本当におこがましいんですけど。
人って深く考えすぎると身動きがとれなくなったりすると思うんです。人生やキャリアに経験値を積んでくるほど、その先が予測ができたりして、これはどうやら無理だなあと考えてしまったり。自分がチャレンジしようとしている事に対して怖くなってきたり。だから当時の私は本当に怖いもの知らずのようなところがあって功を奏したところもあるんですよ。
だから、とにかく考えすぎて身動きが取れなくなるよりも、失敗を恐れないで何事にもトライしてほしいと思います。」

中目黒にある素敵なオフィスにて、中村さんのキャリアのスタートから学生時代のお話まで大変貴重なお話をうかがうことができました。
対談の最後に2ショットまで撮っていただいた弊社代表。中村さん本当にありがとうございました!

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【インタビューvol.4】中村裕子さん(デザイナー)
1983年生まれ。多摩美術大学生産デザイン学科テキスタイル専攻卒業後、株式会社イッセイミヤケを経て、2006年有限会社giraffeにデザイナーとして入社。世界一キュートなネクタイ屋さんを目指し「giraffe」の立ち上げから参加。現在もgiraffeの全商品のデザインを担当するかたわら、2012年、新ファッションブランド「my panda」を立ち上げ。
中村裕子さんプロフィール写真
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